ロスリン礼拝堂  ダヴィンチ・コードの謎

ロスリン礼拝堂は、エディンバラ郊にある15世紀に建てられたゴシック建築の美しい礼拝堂です。もともと私用の礼拝堂として建てられ、多くの石職人によって40年かけて作りあげられました。エディンバラからはバスで1本、乗り換えなし約40分で行けます。

ロスリン礼拝堂は、内部の壁と天井一面、そして外部にもたくさんの彫刻が施されている荘厳な礼拝堂として知られています。それぞれの彫刻がユニークで、その彫刻にまつわる伝説が多く生まれ、この礼拝堂をより神秘的なものにしています。

16世紀の宗教改革により礼拝堂として使われなくなり廃墟化していましたが、18世紀にはいりロバート・バーンズ(スコットランドの国民的詩人)が、緑深いロスリン渓谷の美しさと礼拝堂の石細工の神秘性に魅了され作品を書いたことから、多くの作家、画家など芸術家が訪れるようになります。そして、1842年にヴィクトリア女王が訪れた際に、その建築と彫刻に美しさから国の宝として保存すべきだとおっしゃったことから、保存活動が始まります。

ところが!資金も十分でないうえ、専門家に頼らず保存を始めてしまったのです。結果は…カビだらけの礼拝堂になってしまいました。

理由は、コンクリートで全て塗ってしまったため

空気の通り道はなくなり礼拝堂の湿度が上がった結果、「白く美しいゴシック建築の礼拝堂」から「カビに覆われた礼拝堂」の変わり果ててしまいます。

それに気づいてから、慌ててコンクリートをはがす作業→修復作業が行われ今にいたります
ダヴィンチ・コードで観光客が増えてから、より整備されビジターセンターもできました。大きな声では言えませんが、それまでは礼拝堂を囲っている柵にちょっと隙間があり、地元の人たちはその隙間から入っていました。(入場料がかかるため)その柵もビジターセンターができる頃には修繕されていました。

一部窓の上にはトウモロコシの彫刻が施されています。勘が良い人は気がついたでしょうか?トウモロコシの起源は北アメリカで、伝統的にはコロンブスが北アメリカを発見した1492年以降伝わったとされています。

ところが、この礼拝堂が建設されたのは1446年コロンブスが北アメリカに到着する50年前に建設されたのです。

その謎はロスリン礼拝堂の創設者のセント・クレア家の歴史に深いつながりがあります。セント・クレア家は十字軍の一つ、テンプル騎士団と関係があり、何とテンプル騎士団はコロンブスよりも100年近く前に北アメリカに到達していたという説があるのです。

礼拝堂創始者のウィリアムの祖父にあたるヘンリーも当時の騎士団の一員であり、北アメリカに航海した一人であったため礼拝堂にトウモロコシが彫られているとされています。歴史が覆される証拠となるでしょうか…?

興味深い彫刻はトウモロコシだけではありません。礼拝堂内には中世に大流行した黒死病を表したもの、1400年代中頃にスコットランドに伝わるとされるバグパイプを奏でる天使、縄で縛られ逆さに吊るされた堕天使の彫刻などもあります。

自分の中の「礼拝堂」というイメージをことごとく覆されてしまいます。

     

↑↑↑ロスリン礼拝堂には 110を超える緑の男が彫られています。 緑の男の彫刻は、緑が口から生えている人間の顔です。 緑の男はケルト神話の再生の象徴であり、自然の成長と豊穣を象徴していると考えられています。

 ←下の彫刻は「悪魔と愛人たち」と題されています。

バフォメットは、テンプル騎士団が異端審問の際に崇拝しているのではないかと疑惑を持たれた異教の神です。黒ミサを司る、山羊の頭を持った悪魔とされます。

フリーメイソンとのつながり

テンプル騎士団と深いつながりがあると言われているのが、フリーメイソン(Freemasonry)で、フリーメイソンの起源はテンプル騎士団という説があります。

フリーメイソンは、13世紀末に誕生した石工ギルドにその起源をたどり、現代まで続く世界最古の秘密結社と言われています。

一説によると、ロスリン礼拝堂を作るために集めたフランス人石工たちとの密約を確かなものにするために作ったギルドがその始まりだと言われ、フリーメイソンはこのロスリン礼拝堂から始まったのだと結論付ける人もいるほどです。

ロスリン礼拝堂の公式サイトに「第16代ロスリン男爵のウィリアムサンクレア卿は、1441年にジェームズ 2世によって付与されて以来、スコットランドのグランドマスター・メイソンの地位がセントクレア家に受け継がれてきたことを認め、スコットランドのフリーメイソンから 1630 年の憲章を付与されました。」とあります。つまり、ロスリン礼拝堂を建設した第11代ロスリン男爵のウィリアム・シンクレア卿がスコットランドのグランドロッジの最初のグランドマスターだったということとなり、グランドマスターの地位が代々セントクレア家に受け継がれてきたことを認められたこととなります。しかし、ロスリン礼拝堂のサイトでは、「この憲章は、セントクレア家をスコットランドで活動する石工の技術の「後援者および保護者」として認めたものであり、象徴性に関して現代のフリーメイソンとは何の関係もありません。」としています。

礼拝堂にはフリーメイソンを象徴する彫刻がいくつかあります。訪れた際には探してみてくださいね。

テンプル騎士団もフリーメイソン興味がない!という方には次のお話

坂本龍馬が生き延びてイギリスに渡っていた都市伝説とは…。

明治四年、岩倉使節団がロスリン礼拝堂に訪れています。

岩倉使節団(いわくらしせつだん)とは、明治維新期の明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣した大使節団である。岩倉具視を正使とし、政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された。

引用元:Wikipedia「岩倉使節団」

それは「米欧回覧実記」という資料に記録として残っているそうです。

ここからが面白い話です。

日本から10数時間も飛行機にのり、エディンバラからは車で田舎の方へ進んでやってきたロスリン礼拝堂。正直なかなか大変でした。ロンドンから来るだけでも大変だったはずです。

明治時代になぜ岩倉使節団が訪れたのでしょう。当時は飛行機がないですから船です。

港近くとかではだめだったのでしょうか?

…きっとだめだったんです。なぜなら、とある人物とロスリン礼拝堂で会う約束があったからです。

その人物とは…坂本龍馬!

そうです。我々が知っている暗殺された坂本龍馬は影武者。本物はイギリスに密入国して生き延びていたという都市伝説があります。

日本の旧紙幣には「坂本龍馬は生きています」というわかる人にはわかるようにとメッセージがこめらていたそうです。

なんでそんなことができたのかって?

それは、フリーメイソンメンバーのトーマス・ブレーク・グラバーが日本の造幣局にも深く関わっていたからです。

グラバーとはあの長崎のグラバー邸で有名な日本で成功したスコットランド人です。

信じるか信じないかは、あなた次第です。。。

  

最後に「ダヴィンチ・コード」にでてくる場所をはっておきます。

まだ紹介できていない逸話もあるくらい、この礼拝堂は神秘的なオーラをまとっています。だからこそ、映画の世界にどっぷりと浸れるのだと思います。エディンバラから1日かけて足を延ばす価値は絶対にある場所です。

エディンバラっ子からは、礼拝堂まわりのロスリン渓谷を散策するのを勧められました。確かにいい気をもらえそうな散歩道があります。礼拝堂で曰くつきの彫刻に圧倒された後は、カフェで休憩してロスリン渓谷を散歩する。そんなスコットランドの1日も素敵だと思います。

◎◎◎

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