1994年に生まれて初めてエディンバラという街の名前を知りました。翌年に3か月間短期留学をすると決めていたものの、英国へ行くと決めたところで学校選びで行き詰っていたのです。インターネットのない時代ですから、情報はもっぱら紙媒体で、学校のパンフレットや留学ジャーナルなどといった分かるようで分からない情報の山にうんざりしていました。そんな時に、通っていた英会話スクールの先生に薦められた場所がエディンバラでした。
あー、なんか街の名前は〇〇の歩き方で見たかも!くらいの知識しかなかったのです。改めて調べてみたら『北のアテネ』と表現されていました。何も物を知らない私は、ヨーロッパの世界遺産の街で日本人も少ないなんてサイコーじゃない?と直感で決めてしまいました。これが縁というものかもしれません。(あとでネッシーを見れるかも♪とはしゃいだり、ブレイヴ・ハートの舞台だ!とミーハー気分になっていました)この時は、その後何度も旅行で再訪したり、再び長期で留学するなんて予想だにしませんでした。
↑↑↑ 当時はエディンバラの紹介で、こんな写真しか掲載されていませんでした。ちなみにアテネの神殿を真似て建造しようといたのですが、予算不足で中断されたカールトン・ヒルの写真です。
エディンバラかロンドンかと問われたら、即答でロンドン!と答えていた20代真っ只中、香港経由のオープンチケットでロンドンへ向かいました。海外旅行2度目にして1人旅です。英語も怪しかったのに、よくヒースローからキングスクロス近くのホテルまでたどり着けたなぁと思います。2泊3日のロンドン観光は心細くはありましたが、楽しかったですよ。女子1人旅あるあるも体験しました。
改装前の大英博物館は、建物の前が庭のようになっていて巨大な顔の彫刻(仮面みたいな)が斜めにおいてありました。アートといえばアートだけれど、怖いといえば怖い(笑)そんな庭はそこそこのスペースがあり無料のベンチが置かれていました。ロンドンの公園は場所によってはベンチが有料ですから博物館見学の後の良い休憩場所になっていました。多分、私は無防備にそこに座っていたのでしょう。インド人のおじさんがニコニコしながら話かけてきました。「日本のどこから来たの?」「何しに来たの?」つたない英語で、これからエディンバラの語学学校へ行くこと。その後は2週間くらいヨーロッパを旅行をすることを話しました。すると!!おじさんが持ってた封筒のはしを破って、自分の住所を書きはじめました。何が起こってる???その紙を渡しながら「ロンドンに来たら、必ず訪ねてきなさいね」と握手と笑顔で去っていきました。翌日、日本人ガイドさんのツアーに参加したので、ガイドさんに話を聞いてもらいました。 「その住所捨てていいですよ。最近、日本人の女の子達がビザ欲しさに偽装結婚するんですよ。その斡旋だと思う」いきなり洗礼を受けた気分でした。ネット社会になった今は、こんなこと起こらないとは思うので貴重な経験だったのかも。
ロンドンの名所と言われる場所は大体観光して、ハリーポッターで有名になったキングスクロス駅から列車でエディンバラへ4時間の旅です(実際は信号の不調で5時間かかりました)ガイドブックに書かれていたとおり、海岸線を走る列車からの眺めは最高でエディンバラへの期待がドンドン膨らんでいきました。エディンバラへのど真ん中にあるウェイバリー駅に到着しタクシー乗り場へ向かいます。(改札を通らないのでドキドキしました)地上に上がってきた途端、バグパイプの音楽と目の前にエディンバラ城が現れます。なんだこの城。これが初めての感想です。お城というより、要塞みたいなんですよ。岩山の上に鎮座する要塞にしか見えなった。。。さすがヨーロッパで1番たくさん攻めてこられた城とのこと。その攻撃に耐えてきたからこその印象だったのかもしれません。
↓↓プラットフォーム
UKで2番目に広い駅 ↓↓
タクシーの運転手さんにアドレスを渡してステイ先に向かいます。30年前のエディンバラでなくても、ぼったくられる心配はありません。UKのタクシードライバーは難しい試験を受けなければならないのです。今は薄れてきましたが、当時タクシードライバーは誇れる職業でしたし、今でもドライバーは日本より親切です。おかげで、期待に胸が膨らスコットランド初日を迎えることができました。
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